万雷健康日誌

ふと考えたことを書きつけます。

火の鳥とB’z

毎日更新とかほざいておきながら、かなりの日数サボってしまいました。いきなりよくないですね。

さて、僕はB’zをよく聞くんですけど、昨年、彼らはHINOTORIというツアータイトルのLIVE-GYMを開催しました。そこで、新曲「HINOTORI」も披露されました。音源化が楽しみです。

ですがこのブログタイトルはそのことではなくて、手塚治虫の漫画作品、「火の鳥」を指しています。

他愛ないことなんですが、火の鳥B’zのあるアルバムに一つの共通点を見つけまして、今日はそれを紹介しようかなと思った次第です。

さて、 火の鳥ですが、この作品では巻ごとに様々な時代が舞台に選ばれ、一つの物語は一巻で完結しながらも、それぞれの話が時系列的な繋がりを持っています。

さらに、物語の舞台が(手塚治虫の生きた時代から見て)過去→未来→過去→未来→・・・と交互に移動し、渦巻きながら現代に近付いていくという構成をしているのです。

例えば、1巻の黎明編では邪馬台国などの諸国が分立していた弥生時代が、2巻の未来編では35世紀の人類滅亡の日が、3巻のヤマト編では古墳時代が、それぞれの舞台となっています。

そして、この構成の重要なポイントが未来編の中で示されています。

(以下、火の鳥未来編のネタバレ含みます。あんまりネタバレって感じの作品でもありませんが、念のため)

未来編では、核戦争によって地球上の生物が滅亡した後、ただ一人生き残ってしまったマサトが火の鳥から永遠の命を授けられ、再び人類の文明を築き上げるという使命を受けます。

当初は、ロボットや人造人間を試すマサトでしたが、どれもうまくいきません。やがて彼は、一から生物の進化を繰り返すしか方法はないと悟ります。そして、生命の素となる有機物を海に託し、何十億年もの時をただ待つのです。

そんな彼の思いは実り、やがて陸上に進出する生物が現れ、紆余曲折がありながらも文明を再興することに成功します。

ラストシーンで再び火の鳥が現れるのですが、なんとそこで黎明編の冒頭のシーンが繰り返されるのです。これは黎明編の時代のずっとずっと前に別の人類文明が存在していたことを示している。

そして、最後は火の鳥の次の言葉で締められます。

「生物が滅びてまた現れて進化して滅びた…火の鳥の目のまえで何度くりかえされたことだろう…そして何度目かの人間がいままたおなじ道を歩もうとしている」

「『今度こそ信じたい』『今度の人類こそきっとどこかで間違いに気がついて…』『生命を正しく使ってくれるようになるだろう』と…」

この言葉に、人類(に限らず万物の霊長に上り詰めた生物全ての)文明が過去に何度も滅び、マサトによって再び始められた文明は何回目、何十回目かもしれないということが表されています。

手塚治虫は仏教の影響を強く受けており、火の鳥にも輪廻の考え方が度々登場しますが、彼はそれを全人類、全生物という非常にマクロな単位で適用してしまったのです。

その中で、いつか人類が核兵器など、その文明の発達の末に自滅する道を避け、新しい歴史の第一歩を踏み出してくれる日を待っているという描写がなされているのです。

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火の鳥未来編(角川文庫新装版)

さて、これが一体全体なんでB’zと関係があるんだと思われるかもしれませんが、もう少しお付き合いください。

先ほど僕はB’zのあるアルバムと言いましたが、それがこちらです。

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FRIENDS。1992年にリリースされたミニアルバムです。このアルバムには有名な「いつかのメリークリスマス」など、8曲が収録されており、内4曲はインストゥルメンタルです。

最大の特徴はアルバム全体で一つの物語になっているということです。かつての恋人と別れた主人公は「いつかのメリークリスマス」で楽しかった日々を思い出します。

「僕の罪」では「まだまだ時は十分に過ぎてない」「何かが違うと感じるのは僕がただ臆病なだけなのか」と、躊躇いながらも「君」との再会を果たします。

続く「恋じゃなくなる日」(これはB’zのバラードの中でもトップクラスの名曲です。必聴!)では、「ほんの少し離れて歩く傷つかないように」「強い戸惑いを意味のない笑顔にすりかえてまた戸惑う」と、かつて自らを傷付けた恋に怯え、その中で段々と気持ちが近付いていく様子が表されています。

そして「どうしても君を失いたくない」と、彼は胸に決意を秘めるのです。

しかし、ラストに「いつかのメリークリスマス」がピアノで演奏されるのです。

これによって、二人の物語が「どうしても君を失いたくない」でハッピーエンドとなるわけではなく、再び失恋の悲哀を味わうことになるかもしれないということが示されています。

どうです?火の鳥の世界観と相似をなしていると思いませんか?勿論、スケールは全然違いますし、同じ人と、別れと再会を何度も繰り返すことはありませんが。

「心を燃やした人」との再会を果たした主人公の行き着く先はどこになるのか。それを聴き手に想像させる(というより聴き手も想像しきれない)形でこのアルバムを完結させているのです。

これは「僕の罪」の「罪がはじまってくりかえす」などのフレーズにも表れされていると思います。

 

さあ、少し長くなりましたかね。いかがでしたか?こんな感じで、全く別の人間が別の表現方法で描いた二つの作品が交錯するっていうのが意外とあるんですよね。それが小説、漫画、音楽等に触れる一つの醍醐味だと思っています(勿論、それに限らず、大学で学ぶような学問とか、社会で生きてく上で必要なことも)。

要は、寒い冬の日は暖かい家で手塚治虫を読んで、B’zを聴こう!って事です。

それでは、また